2010年4月16日

座談会回顧録 「データ放送座談会」に思ふ ④

「技術的に可能」なことが、放送サービスとして有益であるとは限らない。
思えば初期のデータ放送は「技術的に可能」となったことを試す場となっていた。
視聴者に受け入れられれば良し、受け入れられなくとも
「いまはまだ、デジタル放送が普及していないから」
「電話線がつながっていないから」
と言い訳がたつ。

座談会を終えて感じたこと。それは「現実路線への転換」だった。技術的に可能となる高度なサービスを追い求めるのではなく、あくまで視聴者にとって有益な放送サービスを提供すること。それこそが、今回最も大きなテーマとしていた「データ放送の現在」だ。
無論、不況と広告収入減に伴うコスト削減が背景にはある。担当者がやりたいことを試す余裕がなくなってきたことも事実だ。それでも、新たなサービスがなくなったわけではない。むしろ、地に足をつけた新規データ放送が増えてきたのだと感じた。

「労多くして功少なし」はデータ放送の宿命かもしれない。スポーツ中継では事前に競技自体を学び、さまざまな関連情報を集め、それらに誤りがないかを確認し、狙い通り動くかどうかを検証する。それでも、視聴率アップに貢献するのは難しい。下手すれば、多くの視聴者に存在を気づかれぬままに終わる。
PUSH型の一斉同報配信を武器に情報を氾濫させ、高度経済成長以降の大量消費を支えてきたテレビ放送にとって、多少のPULLを伴いチマチマした情報を提供するデータ放送は決して相性のよいものではない。一時はインターネットにかわるもの、つまりはデジタル=デバイド解消の切り札として関係者の期待を集めたが、データ放送がテレビ放送の一環として行われる以上、両者はあくまで似て非なるものなのだ(非対応端末の有無に関わらず)。

それらを踏まえた上で、データ放送担当者たちは「新たなメディア」としての基軸を打ちたてようとしている。本質的には、テレビ放送を補完するためのツール。
その本質の範囲内でも何らかの発展を遂げることができるのではないか、と。

長く課題とされてきたテレビへの通信回線接続については「つなぐまで待とう」でも「つながせてみよう」でも(もちろん「殺してしまえ」でも)なく、「つながなくても楽しい」や「別の回線を使おう」という方向性が生まれてきたようだ。これはこれで悪くない。
飛躍的なステップに頼るのではなく、コツコツと積み重ねた結果の上にいつしか見えるのが「次のステージ」。その形は依然おぼろげではあるが、少なくともたどり着くことはできそうだな、と期待感の持てる座談会となった。(終)

高瀬徹朗(本誌特別記者)


高瀬氏による、「座談会回顧録」4回分すべて掲載させていただきました。
文中の座談会ですが、月刊「放送技術」5月号(4/28発売)にて
特集として掲載いたしますので、是非ご覧なっていただければ幸いです。

2010年4月15日

座談会回顧録 「データ放送座談会」に思ふ ③

先日、チリ地震による大津波警報が1日中「番組ジャック」(?)するということがあった。

放送サービスに近い位置で仕事するものとして、緊急災害速報がいかなる高視聴率番組よりも優先されるべき最重要事項であることは理解している。が、直接津波の脅威にさらされていなかった私個人としては、何を視ていても表示されていた日本地図を模した表示に辟易した。
「データ放送がきちんと浸透していれば、画面を強制占有する必要はなかったのに」。
いや、デジ・アナが混在している現状では難しいかもしれない。が、せめてデジタル放送受信者への配慮として、その情報が必要ない者は消すことが出来る、というサービスがあってもよかったのではなかろうか。それすらできなかったのはやはり、データ放送が浸透していないせいに違いあるまい。そう思うと余計に苛立ちを覚えた。

さて、座談会。このテーマ自体を話題にあげるチャンスはなかったが、別の話題から回答に近いものは得ることが出来た。

座談会の様子

まず、受信機タイプの多様化。基本、データ放送を提供する場合は「すべての端末で動作する」ことを検証した上で提供される。開始当初はともかく、現在のようにデジタルテレビのタイプそのものが増えてくると作業量も膨大だ。
万が一にも情報伝達ミスがあってはならない緊急災害報道において、
「その端末ではデータ放送が動きませんでした」
などということは言い訳にならない。
そもそも、状況が逐一かわる緊急災害の場合、事前に充分な検証時間をとれるとも限らない。そう考えると、視聴者側の操作枠外(つまりスーパー表示)に情報を置くしかなかった、ということになる。

もうひとつ。安価なデジタル放送対応受信機の中に「データ放送非対応機種」が生まれてしまったことだ。これは動作検証よりもはるかに由々しき問題で、いずれはデータ放送が「高級機種だけの特別サービス」と化してしまう危険性すら伴う。
情報を一方的に送りつける本線映像・音声と異なり、視聴者任意でいつでも好きなときに欲しい情報を取得できるのがデータ放送。また通信を伴うインターネットと異なり、いかにアクセスが集中しても輻輳しないし、テレビを媒介したサービスであるためPCインターネットほど利用者を選びはしない。
だから、緊急災害の情報ツールとしてデータ放送は有益である、はずだった。が、一部機種で未対応ということになれば、万人に情報を送ることが大前提の災害報道に用いることなどできるはずがない。

個人的な疑問点に回答を得ることはできたが、それでも苛立ちはとまらない。デジタル放送普及を急ぐあまり、デジタル放送本来の目的を失いつつあるのではなかろうか。(続く)

高瀬徹朗(本誌特別記者)

2010年4月13日

座談会回顧録 「データ放送座談会」に思ふ ②

座談会当日。集まったのはデータ放送を初期から支える各局歴戦の勇士たちだ。
初めてお目にかかる方もいらっしゃるが、基本的には長い付き合いの方が多い。リラックスしたムードで本番に臨むことができた。

座談会の様子

さて、気になった内容をいくつか紹介しよう。
まず、スポーツやオーバレイ表示の話題で出てきた「社内の理解」という話について。
放送番組制作には多くのスタッフが関わるが、内容を統括的に判断する制作責任者が存在する。基本的には、その人物がやれ映像はどうだ、音声はどうだ、スーパー表示はどうだとあれこれ指示を出すわけだが、基本的にデータ放送は範疇外、ということが多い。
データ放送にはデータ放送だけを担当するチームがあって、当日集まったメンバーもほとんどそのチームの一員だ。つまり、特定の番組についたスタッフではない。だから、何かをするためには「理解」が必要になる。理解を得られなければ、データ放送を付加することはできないのだ。

データ放送がどういうものかわからなかった初期はともかく、現在でもそうした状況は続いている(一部、改善も見られるものの)、という。放送局ですらそんな状態なのだから、一般の視聴者に「データ放送を活用せよ」と訴えるのは無理な話だ。
データ放送に特化したチームが作られたからこそ、当日集まったメンバーのような「プロフェッショナル」が誕生した。

一方、各局がコスト削減の目標を掲げた際に「この番組のデータ放送は削る」という取捨選択ではなく「データ放送全体を削る」というグロスの考えを生んでしまうのは、いまだ特別枠として扱われていることが要因であろう。
各放送局の体制に絡んだ話なので難しいが、データ放送の将来のためにはぜひ、どうにかしてほしい。というかNHKさん、お願いします。(続く)

高瀬徹朗(本誌特別記者)

2010年4月9日

座談会回顧録 「データ放送座談会」に思ふ ①

先日(3月11日)開催しました「データ放送担当者座談会」を受けて、
司会を務めていただきました高瀬氏から、回顧録をご寄稿いただきました。
全4回で、このブログにて紹介させていただきます。


データ放送にとって「次のステージ」はどこにあるのか―。

月刊「放送技術」編集部主催「データ放送座談会」の司会を引き受けてからふと、そんなことを考えてみた。しかし、その答えを導き出すのは容易ではない。

2000年12月のBSデジタル放送開始をデータ放送元年(それまでにもアナログデータ放送なるものがあったらしいが)とするならば、今年は10周年にあたる。デジタル受信機普及は、BS・地上とも約6600万台(1月末、JEITA調べ)にのぼり、データ放送を楽しむ環境は広く浸透した。
が、実際の利用実態はどうだろう。
NHK「紅白歌合戦」の一般審査投票だけをみれば、参加件数は年を追うごとにあがっている。それ以外でも日本テレビ「箱根駅伝」応援メッセージやTBS「オールスター感謝祭」など、着実な実績をあげる事例は少なくない。
それでも「データ放送は着実に浸透した」と言い切れない理由はどこにあるのか。

取材でお会いしたTOKYO MXの担当者はこんなことを言っていた。
「理想的には、データ放送を番組演出の一部として活用すること」。
上記した成功例はいずれも、この理想系にあてはまる。

しかし、その他多くの番組においてデータ放送は「添え物」であり、あくまで本線映像を補完、下手すれば「邪魔しない程度に」存在するのが通例だ。現状の存在意義が見出せていない以上、将来をつむぐことなどできはしない。
まずは、データ放送の今を知ること。ぼんやりながら、会の方向性は定まった。(続く)

高瀬徹朗(本誌特別記者)

2010年2月4日

異才ギリアムが描く幻想世界!映画『Dr.パルナサスの鏡』

『未来世紀ブラジル』テリー・ギリアム監督の新作『Dr.パルナサスの鏡』、この鏡の向こうの異空間にはまってしまいました!

現代のロンドンで、パルナサス博士率いる旅芸人の一座の出し物が魔法の鏡「イマジナリウム」。この鏡の向こうには人々の欲望を現実のものにしてくれる摩訶不思議な異空間があった。たった一人の娘と引き換えに不死の望みをかなえたパルナサス博士とその周囲の個性あふれるキャラクターたちが織りなすラビリンスの世界。
ジョニー・デップや故ヒース・レジャーもよかったけど、博士役のクリストファー・プラマーは最高です!

スクリーンの前で、現実世界と鏡の向こうの異空間を行ったり来たりしているうちにどちらが本当の世界かわからなくなってきます。今この原稿を書いている編集部の「シテ吉」や「㎡」、「M」も、ふだんは真面目にしているけど、欲望がむき出しになる鏡の向こうではどんな姿をしているのか・・・(恐)

映画『Dr.パルナサスの鏡』
☆☆☆☆☆ (文句なしの5つ星!)

(kenta)

2010年1月18日

私的正月映画評

これまで触れなかった年末から年始にかけて観た正月映画、自分なりに評価してみました。

『2012』
いわゆる「鳴り物入り」の正月映画だが、まぁ評判通りです。
プロットも、CG技術も、役者たちも、すべてが期待を裏切ることなく出来上がった正月映画の巨編。
☆☆☆☆★

『倫敦から来た男』
これも前評判通りに楽しめました。モノクロのタッチといい、登場人物の役回りと演技といい、往年のヨーロッパ映画の雰囲気のままにすべてが運ぶうれしさ!でも、欲を言うと、もう少し深みがあったら良かった!
☆☆☆☆★

『パブリック・エネミーズ』
伝説の銀行強盗(でも義賊)をジョニー・デップが演じた話題作。
お決まりのストーリーだけど、やっぱり引き込まれるのは役者とスタッフの力量です。
☆☆☆☆☆

大雷蔵祭
初春狸御殿』、『花くらべ狸道中』、『大菩薩峠』3部作、『眠狂四郎』2作ほど
夭折の名俳優、市川雷蔵の映画大会、結構楽しめます。まだまだやっているから、作品をしぼるのも大変です。子供の頃、よくやっていた「円月殺法」「音無しの構え」の原点も久々です!
昔、映画業界華やかなりし頃はどの映画会社でも「オールスターキャスト」ものや和製ミュージカル映画があったね!楽しかったなぁ!
☆☆☆★★

『THIS IS IT』
今をさかのぼること27、8年前、エピックレコードの宣伝の方が「久々のマイケルの新作です!」と言って届けてくれた『スリラー』!度肝を抜かれたもんです!でも、今でも一切朽ちることなく、いやますます光彩を放つ作品でなぁ…。
MJが生きていれば、たぶん見ることもなかった映画。改めてMJの才能にリスペクト!
また改めて、ご冥福をお祈りいたします。
☆☆☆☆☆

(kenta)

2010年1月12日

おススメ!3D映画『アバター(AVATAR)』

ジェームズ・キャメロン監督の『アバター(AVATAR)』を3D上映館で観ました。結論から言うと、おススメです!

『アバター』 (c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

『アバター』 (c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

昨年の早いうちからパナソニックのCFにも一部の映像が使用されるなど、作品情報も映像も目にすることが多かった作品ですが、正直なところ、あまり期待していなかった。でもせっかく観るのなら、やはり3Dだろうなと思い、前日にシートを予約、改装以来ご無沙汰の新宿ピカデリーに出かけました。
可愛くない分身(アバター)、そのまんまのタイトル、長ぁぁーい上映時間、ふだんのメガネの上にかける3Dメガネ・・・ネガティブな要素が多く、期待感もないまま席に着いてしまった自分でした。でも!でも、あっという間の3時間でした!
まず、3D。映像製作上の様々な技術が自然な形で生かされ、また3Dそのものも迫力いっぱいだけど、ちょっと前のいわゆるコケオドシ的な部分を強調することなく、ものの見事にこなれて使われていました。(チョーがつく高所恐怖症の自分にとって、つらい、つらいシーンもふんだんで、ジェットコースター連続5回乗りくらいのドキドキ感も!)

『アバター』 (c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

『アバター』 (c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

ストーリーもとても厚みがあり、映像テクノロジーは別にしても傑作です。16世紀以降に頻繁に繰り返されてきた欧米の(時には日本も)帝国主義的な侵略戦争への批判、人種差別への批判、そして今の地球で最も切実な問題の一つである環境破壊への批判、等々、人類への鋭い批判もちりばめられています。
 20世紀の初めに書かれたコナン・ドイル『失われた世界』を小学生の時から今に至るまで何度も繰り返し愛読している自分が2010年の正月にこの映画に出会えたこと、今年はいい年になりそうです!

映画『アバター』
☆☆☆☆☆

(kenta)

2009年12月17日

神話や万葉集の新解釈、楽しめました!『ささがねの蜘蛛』

新刊ではありませんが、「古事記日本書紀万葉集と古代タミル語の饗宴」というキャッチコピーに魅かれて手に取った本、『ささがねの蜘蛛』(田中孝顕・著、幻冬舎)。昨年に物故者となられた日本語学者、大野晋博士の「日本語 タミル語起源説」から神話や万葉集を新しく解釈した血沸き肉躍る歴史&言語学ミステリー!?です。

『ささがねの蜘蛛』

圧巻は第五章の万葉集の持統天皇の歌「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香久山」の解釈!てっきりこの歌、梅雨が過ぎた後の、あるいは梅雨の合間の爽やかな初夏の到来を喜んだ歌とばっかり思っていたら、おっとどっこい!「春が過ぎて、あの暑苦しい夏が来た!太陽もあの神聖な天の香久山をジリジリと焦がしているわ!」と、嫌いな夏を呪った持統天皇の嘆きなんだって!でも古代タミル語から理詰めで解説されると、素直に頷いてしまいます。
日本語の起源についてはいまだ諸説紛々としているようですが、浅学の身でも結構楽しめた1冊ではありました。

ところで著者の田中さん、この人はその昔、自己啓発モノで稼いでいた人だったんでは????

( kenta )