「技術的に可能」なことが、放送サービスとして有益であるとは限らない。
思えば初期のデータ放送は「技術的に可能」となったことを試す場となっていた。
視聴者に受け入れられれば良し、受け入れられなくとも
「いまはまだ、デジタル放送が普及していないから」
「電話線がつながっていないから」
と言い訳がたつ。
座談会を終えて感じたこと。それは「現実路線への転換」だった。技術的に可能となる高度なサービスを追い求めるのではなく、あくまで視聴者にとって有益な放送サービスを提供すること。それこそが、今回最も大きなテーマとしていた「データ放送の現在」だ。
無論、不況と広告収入減に伴うコスト削減が背景にはある。担当者がやりたいことを試す余裕がなくなってきたことも事実だ。それでも、新たなサービスがなくなったわけではない。むしろ、地に足をつけた新規データ放送が増えてきたのだと感じた。
「労多くして功少なし」はデータ放送の宿命かもしれない。スポーツ中継では事前に競技自体を学び、さまざまな関連情報を集め、それらに誤りがないかを確認し、狙い通り動くかどうかを検証する。それでも、視聴率アップに貢献するのは難しい。下手すれば、多くの視聴者に存在を気づかれぬままに終わる。
PUSH型の一斉同報配信を武器に情報を氾濫させ、高度経済成長以降の大量消費を支えてきたテレビ放送にとって、多少のPULLを伴いチマチマした情報を提供するデータ放送は決して相性のよいものではない。一時はインターネットにかわるもの、つまりはデジタル=デバイド解消の切り札として関係者の期待を集めたが、データ放送がテレビ放送の一環として行われる以上、両者はあくまで似て非なるものなのだ(非対応端末の有無に関わらず)。
それらを踏まえた上で、データ放送担当者たちは「新たなメディア」としての基軸を打ちたてようとしている。本質的には、テレビ放送を補完するためのツール。
その本質の範囲内でも何らかの発展を遂げることができるのではないか、と。
長く課題とされてきたテレビへの通信回線接続については「つなぐまで待とう」でも「つながせてみよう」でも(もちろん「殺してしまえ」でも)なく、「つながなくても楽しい」や「別の回線を使おう」という方向性が生まれてきたようだ。これはこれで悪くない。
飛躍的なステップに頼るのではなく、コツコツと積み重ねた結果の上にいつしか見えるのが「次のステージ」。その形は依然おぼろげではあるが、少なくともたどり着くことはできそうだな、と期待感の持てる座談会となった。(終)
高瀬徹朗(本誌特別記者)
高瀬氏による、「座談会回顧録」4回分すべて掲載させていただきました。
文中の座談会ですが、月刊「放送技術」5月号(4/28発売)にて
特集として掲載いたしますので、是非ご覧なっていただければ幸いです。


